日本の四国に属する徳島県。
徳島県といえば、どんなイメージを持つだろう?
海が豊富、きれいで水も美味しい。海洋深層水なども汲み上げていたり、自然の宝庫。
海から発展して、港など、木材もを運んだりしていたのでいち早く文化伝統も発展。
徳島の先史と産業
約2万年前の遺物と推定できるナイフ形石器などが49遺跡から見つかっており、戦国時代には三好群を拠点としていた三好氏が東四国から山城国までの八国を支配しました。
豊臣秀吉の四国平定によって安房国は蜂須賀氏が封ぜられ、その統治は明治維新まで続きました。
明治4年(1871年)廃藩置県より、旧徳島藩の阿波国・淡路国などが徳島県として設置されました。
その後、旧讃岐国(香川)も編入されたり再分立されたりして、阿波国が高知へ、淡路国が兵庫へ編入されるなど紆余曲折はありました。
そして最終的に現在の形になったのは明治13年(1880年)のことでした。
徳島では明治時代初期、当時の衣服の染料として用いられていた藍の栽培によって、全国的にも人気の都市となり、たくさんの人が住んでいたようですが、その後、産業革命などで綿織物や化学繊維がでてきたことによって、徐々に人口も当時よりは減っていきました。
ですが、古い伝統をしっかりと継承している住人や、新たに徳島の魅力に惹かれ、Iターンする若者なども増えています。
自然と共に、日本の文化を見直す方々が増えているのでしょう。
徳島は、海にも山にも恵まれ、水産業をはじめ、林業、農業、畜産などが盛んです。その魅力が若者のIターンを掻き立てるのかもしれません。
適した気候、恵まれた大地、そして豊富な水によって育った藍の色は県のカラー
徳島は自然の宝庫。海に囲まれた大地とその気候で自然ものがたくさんとれます。
まさに大地の恵みをいただける日本ならではの光景もたくさん見られます。
鳴海市の門海峡では渦を巻いた海が見れることもあります。まさに絶景!
徳島県では、藍色を基調として、ブランド展開をしています。
古くからは奈良時代から藍については諸説ありますが、日本全国的にも抜きんでた藍の製造は、ここ徳島が圧倒的上位。
渋沢栄一も江戸末期、阿波の藍に憧れて武州藍をより広めていこうと奔走し、1番にはなれなくても2番を目指す!と言っていたそうです。
現代でもそのブランド価値を落とすことなく、古き良き伝統を守り続ける匠の技術とそれらに魅了され、新たに参画している若者たちの斬新な考えのもと作られた藍染商品が豊富にあります。
また、武州の藍とは違って、染め方にも様々な技法があり、藍で何回も染めることによってできるグラデーションの手法などは、徳島に勝るものはありません。
藍の色は、徳島の海の色も表現した、まさに究極の藍です。