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青天を衝け「栄一、銀行を作る」32話

官から民へ。渋沢栄一は、政府の役人の立ち位置から民間の商人として、日本の商売の基礎を作ることを決意する。官にいては、どうしても出来ない事や、自分自身がどうしていきたいのかを再度考えたことは、「合本」の精神で民を豊かにするということだった。

ようやく銀行を作る事になった栄一。三井組と小野組の合本によりあらたに第一国立銀行の総監督として時代を作っていくことになるのであるが、銀行は今や我々の生活になくてはならない存在。日本はこの銀行によって国民が安心して便利に暮らせているのだが、一方で、フィリピンやアフリカなどの海外では、一般の人々が安心して便利に使えるようなBANKが少ない。ATMのようなものも少ないところも多く、いかに日本が便利なのかがわかる。勿論治安の問題もあるのかもしれないが、日本人としての気質もさることながら、栄一のような人達が作り上げてきた便利で民のための制度があったからこそ今の我々があるとつくづく感じられる。

 

あらすじ

栄一(吉沢 亮)は明治政府を辞め、第一国立銀行の総監役として、新たな道を歩み始める。開業後、駆けつけた五代友厚(ディーン・フジオカ)は、“商いは化け物”、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)していると栄一に助言する。

そのころ、三菱を率いる岩崎弥太郎(中村芝翫)は、大蔵卿に就任した大隈重信(大倉孝二)と結びつきを強め、海運業で急成長していた。

そんな中、ゑい(和久井映見)が体調を崩し、東京の栄一のもとに身を寄せることに…。

 

ドラマを観て思うこと

渋沢栄一も井上馨も大蔵省を辞職し、民で活躍を決意することになった。

栄一は、大蔵省へ誘ったフランスでともに過ごした杉浦譲に、実業の一線に立つ決意をしたということを伝えるのだった。

杉浦は、大蔵省に残り日本の為に尽くすと栄一に告げ、自分を大蔵省に誘いをいれた栄一に感謝し、お互い切磋琢磨しながらともにの日本の為に前進することを誓うのだった。

 

栄一が官を辞職したと聞いた三野村。

渋沢の家へ出向き、三井組の番頭・三野村利左衛門の後任の後任に栄一を推薦した。

栄一は、三井組のみを富ませることに興味はなく、「あくまで合本銀行を作りたい」と断ったのだった。

「私は三井に入る気はこれっぽっちもありません。私は銀行を作りたいんだ。今のまんまじゃ日本の銀行は良くならない。

私は辞めたからにはこの手で日本の規範となる合本銀行を作りたいんです。」

そして、民間資本による日本初の銀行「第一国立銀行」が開業することとなった。

三井組と小野組から一人ずつ頭取になり、栄一は総監役となるのだった。

一方、西の五代も官から民へ栄一よりも先に移行していたのだった。「おいも西で同志を集め、鉱山の商いをするカンパニーを起こしもした。

おいは大阪、おはんは東京で商いをすっこつになる。

先に官から民にくだった者として、ひとつアドバイスをせんといかん。政府はやっかいなケモノの集まりじゃったが、商いのほうはまさに化け物、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)しておる。」

 

東の渋沢、西の五代がこれから日本の基礎を築くための挑戦が始まった。

 

 

 

銀行の総監督として日々動き始めたなか、喜作がイタリアから帰国してきた。

喜作もまた新政府を辞職し、銀行へ誘ったが、イタリアで見てきた生糸の産業の可能性を感じた喜作は生糸の商いをしたいと栄一に話す。

 

そして、惇忠が働く富岡製糸場と静岡の慶喜のもとを一緒に訪れようと誘うが、「慶喜に合わす顔がない」と断られてしまった。

「近いうちにどうにか、富岡と静岡に行きてぇと思っている。前様(さきさま)に近況を報告したい。

廃藩となり、静岡県や御宗家の懐も気になる。お前も来ない。」(栄一)

「俺はとてもお会いできぬ。前様は俺たちが戦うことを望んでいなかった。それなのに俺は最後まで戦い、あげく、多くの御直参を死なせてしまった。合わせる顔がねぇ。」(喜作)

 

新たな動きを見せるなか、体調を崩し、渋沢家で療養していた母・ゑいが、栄一たち家族と一緒に暫く暮らすことになった。

そして家族に見守られながら、息をひきとった。

子どものころに教わったこと、栄一が再度心に刻み、前進するのだった。

 

[あんたがうれしいだけじゃなくて、みんながうれしいのが一番なんだで]

「ありがとう、かっさま。」

 

ゆかりの地の紹介

群馬県富岡市。明治5年、養蚕が盛んだったこの地に富岡製糸場が設立さた。開業当時の姿をほぼ完全な形で残している建物は、木の骨組みとレンガで造る西洋の建築方法が用いられてる。

建築資材のほとんどが国内で調達され、レンガは、現在の埼玉県深谷市から集められた瓦職人たちによって作られた。

東置繭所(ひがしおきまゆじょ)

当時、最大の輸出額を誇った生糸の品質向上と、器械製糸の技術者を育てることを目的とした富岡製糸場。この地で学んだ工女たちは指導者として出身地に戻り、全国に器械製糸の技術を広めていくことになっていった。

繰糸所(そうしじょ)

繰糸所・内部

昭和62年まで操業を続けた富岡製糸場。115年にわたり日本の製糸業を支えていた。

 

アクセス

上信電鉄「上州富岡」駅下車 徒歩15分

 

 

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