世界の藍=インディゴブルーと日本の藍
近年、若い世代から、見直されている古きよきもの。例えば、日本の音楽や、昭和のスタイルなど、中年層以降は「ちょっと古くてダサい?!」と思うようなものでも若者には斬新で可愛く映るらしい。
そんな中でも、長く心に残っている色、藍。日本人のDNAに藍色はすでに組み込まれているなくてはならない色なのかもしれない。
どこか懐かしく、心が穏やかになる藍。藍の葉で様々なブルーを醸し出すさまはまさに芸術。古くからの染め工程により、伝統的な染め方を守っているところも、日本にはまだちらほら存在する。
今、見直されている藍の技術。
世界では藍はどのように広がっていったのだろうか?そして日本では?
世界の藍の歴史
藍色。国によって、その使い方の歴史にも違いがみてとれます。
エジプト
エジプトの藍の歴史は古く、テーベ古墳で発掘された紀元前2000年頃のミイラには、藍で染めた麻布が巻かれていました。
当時すでに藍はエジプトで栽培されており、その後インド・中国へと広がり、オーストラリアを除く全世界で栽培されたといわれています。
中国
中国の古書に藍が表れるようになったのは紀元前一世紀ころからで、荀子の「青は之を藍に取りて、藍よりも青し」との名言もあります。
中国では当初藍は薬用に用いられていました。葉は毒虫に刺されたときや腫物に
貼用し、果実は中国で古くから漢方薬として解熱・解毒に服用されており、その後染色用として用いられるようになったといわれています。
インド
インドでの藍染は紀元前2000年頃といわれており、この当時すでに製藍は輸送に便利なように固形化されていました。
紀元前一世紀には一部欧州へも輸出されており、インド原産の青色染料としてインジカンと呼ぶようになり、これが藍の代名詞「インジゴ」となりました。
アメリカ
アメリカにはアメリカ原産のナンバンコマツナギ(別名アメリカ藍)が自生していました。
藍の染色布はガラガラ蛇等の爬虫類の嫌う臭いを持っており、約200年前よりアメリカではカウボーイたちが藍の葉をジーンズの染色に用いたのもこのためであるといわれています。
そのジーンズは現在は殆ど人造藍で染色されており、世界中の若者を中心に愛用されています。
日本の藍の歴史
飛鳥時代に中国から持ち込まれたといわれています。
藍染は古くは夏季だけの染色でした。
藍は刈り取ってすぐに用いられ、葉を直接桶などに仕込んで藍建てして染色したものと思われます。
室町時代には、藍甕(あいがめ)を土中に埋めて保温し、火壷を設け加温する藍建の方法が発明され、また藍草を発酵させてスクモを作り出し、夏場だけでなく年間を通じて染色できるようになり、現在の藍染の手法はこの当時に確立されました。
日本最古の藍染の組紐
藍染め=ジャパン・ブルー
日本で最も流行したのは江戸時代。庶民の着物などに使われ、日本人の生活に深く根付いてきました。武士の時代には刀傷・矢傷の化膿を防ぐ下着として必需品であり、「縁起の良い色=褐色(勝色)」が好まれました。明治初頭に来日した英国人化学者のアトキンソンが、町が藍色に彩られている様子を「ジャパン・ブルー」と表現したのが由来で、以降『ジャパン・ブルー』は日本を象徴する色となりました。
ラフカディオ・ハーンもこの『ジャパン・ブルー』をこよなく愛した外国人の一人です。
藍の色素は不溶性(液体に溶けにくい)の為、他の染料植物と同じように煮ても色素を取り出すことができません。そのため、藍を「甕(かめ)」に入れて発酵させ、染色可能な藍液をつくります。これを「藍を建てる」といいます。
こうしてできた藍液に糸や生地を浸し、その後何度も空気にさらして酸化を繰り返し、青に発色していきます。こうしてバリエーション豊かな色彩ができ、藍の魅力が江戸時代の流行になっていったのでしょう。
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