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渋沢栄一と藍染めのはじまり

大河ドラマ「青天を衝け」では、緑の藍葉と野良着の藍色が空の青と相まって、鮮やかなブルーのコントラストで毎回楽しませてくれる。日本の国旗は白地に赤の日の丸であるが、最近感じるのは、スポーツの世界においてもブルーを基調としたユニフォームが多い。サッカーなどは日本代表選手のイメージはブルー。企業がブルーを使ったCI(ロゴ)を好む傾向にあるのも、事業の成功と繁栄をもたらすというようなことを言われているからのようである。

日本人にはかなりなじみの深い色。ブルー。古えの先人たちの知恵によって藍葉で藍色(ブルー)に染めあげることが出来た。日本でのはじまりは、奈良、平安時代からで今も続いているという。

 

 

藍染の歴史

世界を観てみると藍染の歴史の源流は紀元前の古代エジプトにさかのぼるようだ。紀元前2000年頃の古代エジプトではミイラには藍の麻布が使われていた記録が残り、1300年頃なんとツタンカーメンのミイラにも藍染の布が使われていたとのこと。その後、シルクロードの交易が盛んになっていき、藍染めの布製品もインドや中国、そして東南アジアへ広がっていった。

 

日本の代表、阿波藍と武州藍

日本に今も残る重要文化在としての古くからの染色技法を用いた藍染めは、「徳島阿波の藍」と「武州の藍」が代表的である。

阿波では、北方といわれる吉野川流域の農村で栽培されていたと云われている。その起源は平安時代の初期に荒妙(あらたえ)という布地を織っていた阿波忌部が藍を栽培したという伝承がある。戦国時代まで阿波では、葉藍を水に漬けて染め液を作る沈殿藍の技術しかなかったようだが、天文18年(1549年)に三好義賢が上方から青屋四郎兵衛を呼び寄せ、すくもを使った藍染めを始め、そのすくもの製法を伝えていったことにより、広がっていったと。(「みよしき」による)

武州では古くから木綿と藍の栽培が盛んで、農閑期を利用して家族の衣服を作ったのが紺織の始まりと云われている。
天明年間頃(江戸時代の1781年から1789年)に藍染の技術が伝えられ、明治40年代の最盛期には武州の一大産業で発展していった。
藍染の職人を紺屋職人と呼ぶが、この当時で200件以上の紺屋があったと伝えられている。

江戸時代から続く伝統の武州の藍染めは、現在の埼玉県北部にあり、武州地域(埼玉県北部)の藍染は、埼玉県の伝統的手工芸品に指定されている。

日本資本主義の父といわれる武州出身の渋沢栄一も、家業である藍玉の製造販売を原点として偉業をなしえた人物であるが、青天を衝けでも栄一が「阿波藍に武州も負けないように。。。」と、既に盛んな阿波を見習い、それを目標に武州でも追いつけ追い越せの精神で励んでいたに違いない。

タデ藍

 

 

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渋沢逸品館では、日本資本主義の父と言われ、日本近代文化の礎を築いた渋沢栄一に関わるこだわりの品々を販売しております。渋沢翁の原点である藍染めを始めとし、藍に関連した商品や、関連企業やゆかりの地にまつわる歴史や文化を感じる商品を多数販売しており、知る人ぞ知る銘品をお探しいただけます。

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