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渋沢栄一と武州藍

■粋でいなせな江戸っ子気質『武州藍』

渋沢栄一は、埼玉県深谷の血洗島で育ち、父・市郎右衛門の藍玉販売事業から多くを学びました。

後の渋沢栄一の商才は、「藍」から始まり、多くの人達と「合本」すなわち協力し、ひとつの事を成すことによって発展していったに違いありません。

江戸末期、庶民の間では藍染着物をファッションとして取り入れていました。

 

どこか粋でいなせな「藍染め」は、渋沢栄一が当時憧れていた徳島の阿波藍の次に並ぶよう「武州藍」を広めるべく奔走したといいます。

 

 

 

 

江戸時代後半の天明期の頃から羽生や加須、行田など北埼玉で藍が栽培されたといわれています。
農家の主婦が農閑期を利用して家族の衣服をつくったのが始まりといわれ、最盛期には武州(羽生、加須、行田)の一大産業となりました。

武州の正藍染めは、藍の葉から自然発酵建てでとった染料により染めるのが特徴で、手染めのため微妙な風合いがあり、さめるほど美しい色合いになります。

糸の段階で染める糸染めと、布にしてから染める型染めのふたつの手法があり、武州では全体の7割が糸染めで、型染めは民芸調などの柄が出せます。

藍染めの職人を紺屋職人と呼び、当時200軒以上の紺屋があったほどです。

 

武州:武蔵国(むさしのくに)はかつて日本の地方行政区分であった冷制国のひとつ。

東山道のち東海道に属し、現在の東京都と埼玉県及び神奈川県の川崎市、横浜市にあたります。

江戸から明治にかけて、多くの農家が藍を育てたが、明治維新以降、徐々に減少していきました。

令和である現在は、武州でその伝統を継承しているところは数えるほどとなってしまいました。

150年続く藍染め企業もあり、江戸時代から伝わる伝統の技法を守り続けているところ、古きよきものを残しつつ、新たな時代へ繋げていくものなど、今改めて藍染めが見直されています。

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