渋沢栄一とゆかりの地【東京都北区飛鳥山】
2024年には新しい1万円札の顔となる渋沢栄一。
江戸末期に埼玉の深谷で生まれ、その後一ツ橋(徳川)の家臣となり、京都、駿府、江戸、東京へと活躍の舞台を移していきます。
渋沢栄一は徳川昭武民部公子のお供でフランスへ渡り、当時の日本にはない制度や仕組みなどを学んでいきます。
明治維新以降大蔵官僚となり、日本を一等国にする為に日夜邁進します。
動いている中で、民を平等に、よりよい生活を目指すことで、官ではそれが果たせないと考え、民間人として、新たに日本を豊かにするために行動していくのでした。
民の人たちの中でも志の高い人たちはたくさんいました。
当時より成功をおさめていた三井や三菱とも互角にビジネスをやりあいながらも、最初に目指した「民の為、日本を一等国に」という志を最後まで貫いていくのでした。
それが日本資本主義の父といわれることになった所以でしょう。
栄一は民間人となって新しことを次々と立ち上げていきます。
日本、東京の今があるのは、渋沢栄一の貢献によってできているといっても過言ではないかもしれません。
東京北区飛鳥山
東京には、渋沢栄一のゆかりの地がたくさんあります。
そのうちのひとつが、東京北区にある飛鳥山。
JR京浜東北線。東京メトロ「王子」駅より徒歩5分。
近くには、風情の残る都電電車、東京さくらトラムも走ります。「飛鳥山」駅を下車すると目の前すぐに飛鳥山があります。
飛鳥山は、渋沢栄一が最後の棲み処として大切にしていた場所です。
邸宅のあった飛鳥山は飛鳥山公園として、今は人々の憩いの場となっています。
写真は北とぴあ最上階から撮影したもの。緑が当時のまま残されています。
3月に入り春の訪れとともに、桜も満開になり、桜の名所としてお花見に来る人が後を絶ちません。
北区のシンボルマークは、さくら。
公園内には、渋沢史料館をはじめ、北区の博物館や渋沢栄一が寄贈された書庫として使用していた青渕文庫や茶室だった晩香蘆もあります。
渋沢史料館 青淵文庫 晩香蘆
北区は23区内でも埼玉に隣接する区。
当時、江戸の町の人たちは、江戸より近い避暑地として観光名所にもなった場所。
その名残も多く、ちょっと歩いてみると自然がいっぱいでまさに都会のオアシスです。
大名が江戸に入る前に休憩の地としても選んでした場所。風情のある所満載です。
少し足を延ばせば新たな発見があるに違いありません。
渋沢栄一が晩年の棲み処として愛した土地。
人々の温かさや、想いにかける情熱がたくさんの商品をも生み出していき、下町としても発展しました。
街歩きには是非お勧めしたい場所。
きっとあなたもこの地が好きになることでしょう。