青天を衝け「栄一の祝言」8話
前話で青天に向かい、決意を固めた栄一。
戻ってすぐに千代へ自分の想いを伝える。
千代はもまた同じ想いだった。
長七郎が喜作にあてた手紙には「勝負を挑むのは自分ではなく、栄一だ」と。
あらすじ
ついに、栄一(吉沢 亮)は自分の思いを語り、千代(橋本 愛)に結婚を申し込む。
と、そこに待ったをかけたのは喜作(高良健吾)。栄一と喜作は剣術で勝負をすることに。
一方、幕府では、大老になった井伊直弼(岸谷五朗)が「日米修好通商条約」を結ぶが、調印は違勅だと大問題に発展。
井伊に意見した慶喜(草彅 剛)や斉昭(竹中直人)には処分が下され、安政の大獄と呼ばれる苛烈な弾圧が始まる。
徳川家康の語り
関ヶ原の合戦以後、徳川のために井伊直弼が幕末期の江戸幕府において大老として貢献しくれた。
井伊直弼は、15代近江彦根の藩主で、茶の湯を愛し、和歌や能楽を愉しみ、立派な茶室もあしらえていた。
問題は将軍、世継ぎを誰にするのか?
ドラマを観て思うこと
まずは、決意したことをすぐに伝えるまっすぐさが栄一の魅力だ。喜作の想いを知ってはいたが、自分の心に正直にまっすぐ歩く様は、渋沢栄一の生き様が生涯にわたってそのままだったのだろうと思う。喜作もまた、勝負をしている最中、「栄一さん、きばって!」と千代が栄一に叫んだ時に、気持ちを吹っ切ったのだろう。いや、もっと前から感じていたことだったのかもしれない。自分自身のためにけりをつけるために栄一と己とに勝負をしたのかもしれない。でもまあ、喜作も素敵なお嫁さんをめとることができて本当によかった。血洗島のみんなが幸せムードに包まれていたのはほのぼのとした場面だった。
一方、徳川将軍のお世継ぎ争いはなかなか困難をきたす。一家一族が大きくなった分、それぞれの器、能力の差、多方面で回りにささやかれる実力の程。安政5年(1858年)家定が「家柄からも人物からも大老は掃部頭(直弼)しかいない」と言ったため、急遽、直弼を大老となった。さらに直弼は第13代将軍・徳川家定のお世継ぎ問題では血統を重視する立場から紀州藩の主の徳川慶福を推挙し、一橋(徳川慶喜)を推す前、水戸藩主・徳川斉昭ら一橋派との対立を深めた。
家定はなぜ井伊直弼を選任したのだろうか。純粋に田舎者で、他のどろどろとした争いの中にいなかった分、自分の味方になってくれるだろうとの判断だろうか。渦中にいるものほど信用ならぬと思ったのかもしれない。
井伊直弼は、家定崩御後も頼まれた通りの行動を忠実に行っていった。
のちに徳川幕府の将軍継嗣問題に決着がつき、14代将軍には徳川慶福がつくことが決まり、それに伴い安政の大獄の始まりともいえる徳川斉昭や一橋慶喜への処分がなされるというものだった。
最後に、尾高惇忠が栄一と千代の祝言で市郎右衛門らの会話を黙って聞いていたのがシーンが栄一が攘夷へと傾倒していくことを示しているようだった。
ゆかりの地の紹介
滋賀県彦根市。この地は、江戸時代を通して井伊家が治めた。
井伊直弼は、城内にある槻(けやき)御殿で生まれ、17歳のときに父を亡くし、城下町にあった控え屋敷に移り住む。
槻御殿(楽々園)
自らを花の咲くことのない埋もれ木に例え、「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けたこの屋敷で、直弼は禅や居合、能などの修練を重ねた。
埋木舎
特に茶の湯に打ち込んだ直弼は、屋敷に茶室を増築。流派を立てるほど情熱を注いだ。
井伊家の菩提寺の一つ、龍潭寺(りょうたんじ)には、直弼がたびたび茶会を催した部屋が残されている。
龍潭寺
飄々庵(ひょうひょうあん)
井伊直弼が茶の湯を楽しんだ茶室
兄の急死により、藩主に就任した直弼。彦根から遠く離れた江戸の地で、国難を乗り越える道を模索していく。
埋木舎 JR「彦根」下車 徒歩15分
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