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江戸文化人、将軍のお忍び料亭「八百善」

私たちが食べている日々の食事は、いつ頃から始まったものなのだろうか?
江戸時代、幕府が置かれて発展していった江戸で、経済の発展とともに武士の文化から町人の文化が盛んになっていきます。それとともに上方からの借り物文化から江戸周辺の産物を用いた地産地消の食文化がはじまっていきました。それが、江戸前の魚をつかった、てんぷらやにぎりずし、そばといった、今風に言えばファストフードといえる食べもの。

最近の食べものと思いがちなファストフードのルーツは、意外にも江戸時代からあったものです。

 

江戸文化と八百善

江戸の発展とともに、日本の料理が確立していきます。

経済の発展とともに、文化人と呼ばれる人達も増えてくると、料理や談話も広がり、料亭などではサロンのように使用されていくようになっていきます。

 

特に現代も続く八百善には、文化墨客が集まっていました。

そんな一流文化の代表が大田蜀山人と江戸時代の画家、酒井抱一(1761~1828)などです。

 

八百善のはじまりのもとは、1570年後半、元亀・天正期より続く百姓で、初代当主の栗山善四郎は生産した作物を商う八百屋をはじめ、元禄の時代に「八百善」という名で料亭へ、四代目の文化文政期(1820年前後)には11代将軍家斉も立ち寄る江戸で最も名高い料亭となりました。

四代目主は、21歳、35歳のときにそれぞれ江戸から京都、江戸から四国まで各地の料理や食材などを研究する為、数カ月に及ぶ長い旅に出て、食材選びから調理法、盛り付けなど一切の妥協を許さない粋人でした。

「一両二分の茶漬け」などの逸話も彼の時代に生まれました。

妥協を許さず、手間暇をいとわない江戸料理の特徴をよく表しています。

また、文政十年、十一代将軍家斉は鷹狩りに向かう途中、四代目善四郎の別荘に立ち寄りました。その際、三羽の鶴を庭の松の木にかけて休んでいたところを酒井抱一は「鶴掛けの松の画」を書き残しています。

また、篤姫として知られる天正院も、勝海舟を伴って しばしば八百善を訪れました。

八百善には、将軍のお成りの際に遣わされた書類が、今も数多く残っているといいます。

このように、将軍家の方々が一般の料理屋を訪れるのは、非常にまれなことでした。

  幕末には、幕府に開国を求めたペリーの接待も仰せつかっています。

ペリー饗応の献立に関する資料の多くは、関東大震災によって消失してしまいましたが、八代目善四郎が六代目善四郎から聞いたところによると、おびただしい料理と皿が並び、その費用は千両にものぼったそうです。
  その後、明治時代に入ってからも、政府や宮中からの依頼を受け、外国の要人の接待を承った記録が残っているといいます。

江戸徳川慶喜の時代にも、明治、大正、昭和と渋沢栄一翁が割烹家八百善として通った愛する料亭として著名人が江戸料理を満喫したといいます。

 

創業300余年の老舗料亭「八百善」が守る江戸料理の伝統

1717(享保2)年創業の八百善。11代将軍・徳川家斉をはじめ歴代将軍家に愛され、幕末にはペリーの接待を任されるなど、江戸でもっとも名高い料理屋として知られていました。上方料理の3倍の人手で10倍の手間をかけるともいわれる江戸料理の伝統技法は、300年の時を超えて受け継がれています。

伝統技法を惜しみなく教える料理教室が生まれた背景には、人々に江戸料理のおいしさと作り方を広め、後世に伝えていきたいという八百善の想いがあります。その昔、四代目・栗山善四郎がまとめた料理本『江戸流行料理通』を、江戸みやげとして人々に配っていたという逸話からも、この精神が代々受け継がれてきたものだとわかります。

 

八百善伝え書き

江戸料理の真髄は、手間暇をかけて旬の食材をいかにおいしくするかということ。

また江戸料理は、基本的に特別な道具は使いません。包丁やまな板、すり鉢など一般的な道具を使いながら、細やかな手仕事で食材のおいしさを引き出します。料理ごとに異なる最適な包丁づかいや、食感を良くする工夫、食材に火を入れる際の加減など、おいしくいただくために手間をかけて料理しています。

 

江戸時代の数々の文献には、当時の要人や文化人に愛された八百善に関する記述が数多く残されています。
その中から、「八百善伝説」とも言える逸話をご紹介します。

 

一両二分の茶漬

「八百善伝説」の中でも代表的なものが、江戸末期の書物「寛天見聞記」に書かれた「一両二分の茶漬け」です。
  ある時、美食に飽きた通人が数名、八百善を訪れ、「極上の茶漬け」を注文しました。しかし、なかなか注文の品は出てきません。半日ほど経ってやっとありつけたのは、なるほど極上の茶漬けと香の物でした。しかし、勘定が一両二分と聞き、通人たちはさらに驚きます。さすがに高すぎると言うと、主人はこう答えました。「香の物は春には珍しい瓜と茄子を切り混ぜにしたもので、茶は玉露、米は越後の一粒選り、玉露に合わせる水はこの辺りのものはよくないので、早飛脚を仕立てて 玉川上水の取水口まで水を汲みに行かせました」。
  それを聞いた通人たちは、「さすが八百善」と納得して帰ったといいます。当時の一両は、現在の貨幣価値で3~5万円と言われますので、いかに高価だったかがわかります。

 

 
 八百善茶漬け
 
現代版の八百善茶漬けのレシピをご紹介します。
 
【材料】
・奈良漬・沢庵・きゅうり・生姜・ごま・出汁・醤油・塩・みりん・砂糖・わさび・緑茶
 
【作り方】
1.一晩塩抜きした古漬けの沢庵と奈良漬を千切りにします。
2.輪切りにしたきゅうり、針生姜を加えよくもんで白ごまを入れ、またもみます。
 
3.出汁に塩、醤油、みりん、砂糖を加え、2にかけます。
4.よく混ぜたら器に盛り付けます。
5.出汁に塩、醤油を加えます。
6.5でお茶を入れ、ご飯に注ぎます。
7.仕上げにおろしわさびを載せて、出来上がり。
 
 
はりはり漬け
 
もう一つ、有名な逸話が「ハリハリ漬」です。
喜田村香城が書いた「五月雨草紙」によると、ある人が、以前食べた八百善のハリハリ漬の味を思い出し、使いの者に小鉢を持たせて八百善へ送り出しました。すると、ほんの一口のハ リハリ漬が三百疋(三分)もしました。これはあまりに高いとかけあったところ、「手前どものハリハリ漬けは、選び抜いた尾張産の大根一把から極細の一、二本を抜き出し、水を使わず味醂で洗って漬けるのでこの値段になるのです」と主人は答えました。大根を水で洗うと辛くなるため、当時、高価だった味醂を使って大根の泥を落としていると聞き、その人も納得したそうです。これらの逸話から、八百善が江戸を代表する超高級料亭であったことがうかがえます。しかし、ただ高価なだけでなく、それに見合う味としつらえでお客様をもてなし、多くの方に愛されて参りました。
 
本商品は、そのままの味で再現しております。
 
 
八百善は、現在、事前予約制で江戸の料理を満喫することができます。
 
「八百善雨月荘」
営業時間:12時~17時 (ラストオーダー:15時)
定休日:水曜
TEL:045-374-4440 FAX:045-374-4480
〒235-0021 神奈川県横浜市磯子区岡村2-5-3
 
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