渋沢栄一ゆかりの地「埼玉深谷」前編
渋沢栄一ゆかりの地 埼玉深谷
埼玉は渋沢栄一の生誕の地として知られている。渋沢栄一は500もの企業に創設または関与、そして全国的に、渋沢栄一が讃えられているゆかりの地はあるが、埼玉ほど集中しているところはない。
色々な角度からゆかりの地を歩いてみると、新たな発見があるに違いない。ここでは、まず生誕の地「深谷」から紹介しよう。(前編)
① 旧渋沢邸「中の家(なかんち)」
栄一の生誕地。現存する主屋は妹夫妻により明治28年上棟された。晩年の栄一は血洗島村の鎮守である諏訪神社の例祭にあわせて帰郷するなど、たびたび「中の家」に滞在していた。
旧渋沢邸「中の家(なかんち)」主屋は、渋沢栄一生誕地に建ち、栄一の妹夫妻によって明治28年上棟された建物。渋沢栄一が多忙な中で帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所。
渋沢家の住宅として使われていたが、昭和60年より「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され多くの外国人留学生が学んだ。平成12年の同法人解散に伴い深谷市に帰属。県指定旧跡「渋沢栄一生地」、市指定史跡。
【栄一との関係】
農業を代々営み、栄一の父親の代には染料のもととなる藍玉の製造・販売を本格的に手掛け、村で1、2を競う富農となった。
○住所:深谷市血洗島247-1
〇開館時間:9時~17時(16時30分までに御入場ください。)
〇休館日:年末年始
○問い合わせ:048-587-1100(渋沢栄一記念館)
② 晩香渋沢翁招魂碑・先妣渋沢氏招魂碑・渋沢平九郎追懐碑
栄一の父の市郎右衛門と母のえい、そして見立て養子となった平九郎の碑。東京谷中の渋沢家墓所内にあったが、平成26年に生誕地である「中の家」の敷地内へ移設された。
【栄一との関係】
父の市郎右衛門は学問に長け、持ち前の勤勉律儀さで養蚕や藍玉づくりとその販売により財を成し、「中の家」を再興した。
母のえいは大変慈悲深い人で、近所の病弱な人の着物や食事の世話までしたといった逸話が多く残されている。
平九郎は栄一と従兄弟の関係にあたり、栄一の学問の師でもある尾高惇忠の弟(妻ちよの弟)です。栄一が渡欧するにあたり見立て養子となった。
○住所:深谷市血洗島247-1
〇開館時間:9時~17時(16時30分までに御入場ください。)
〇休館日:年末年始
○問い合わせ:048-587-1100(渋沢栄一記念館)
③青淵由来之跡の碑・青淵公園
栄一の雅号である「青淵」の由来となった淵の跡に建てられた碑。青淵公園内にある。
昭和12年に皇太子明仁親王の生誕奉祝記念事業として、八基村青年団により建てられた。
清浦奎吾揮毫、栄一の甥にあたる渋沢治太郎撰書。
栄一の雅号を冠した公園を流れる清水川にかかる橋には、郷土の偉人たちの名がつけられている。
【栄一との関係】
栄一の雅号「青淵」は、従兄で学問の師でもある尾高惇忠(雅号は「藍香(らんこう)」)がつけた。
当時の栄一の家の北には淵があり、自分の家を淵上小屋と名付けていたこともあって「青淵」という雅号になったと後に語っている。
○住所:深谷市下手計1241
④ 諏訪神社・渋沢青淵翁喜寿碑
栄一が生まれた旧血洗島村の鎮守。また喜寿碑は、栄一の喜寿を祝って氏子によって建てられた。 徳川慶久題額、萩野由之撰、坂正臣書によるもの。
【栄一との関係】
拝殿は栄一が寄進しました。
秋の例大祭では、毎年「血洗島獅子舞(深谷市無形民俗文化財)」が奉納される。
栄一もここで血洗島獅子舞を踊り、当地を離れてからも毎年のように血洗島諏訪神社の祭礼にあわせて帰郷し、参観していた。
○住所:深谷市血洗島地117-6
⑤渋沢栄一記念館
栄一の祥月命日である平成7年11月11日に開館した。資料室には栄一ゆかりの遺墨や写真などが展示され、多目的室では栄一に関する映像を見ることができる。また、講義室には生誕180年にあたる2020年に誕生した”渋沢栄一アンドロイド”があり、大正時代に栄一が語った『道徳経済合一説』についての講義を受けることができます。
○住所:深谷市下手計1204
〇開館時間:9時~17時
〇休館日:年末年始
○問い合わせ:048-587-1100(渋沢栄一記念館)
⑥尾高惇忠生家
栄一の従兄で学問の師でもある尾高惇忠、栄一の妻となる尾高千代の生家。江戸時代後期に惇忠の曽祖父が建てたといわれている。
【栄一との関係】
幼少期の栄一は尾高惇忠に論語をはじめ四書五経を習うためこの地に通いました。のちに栄一や惇忠、渋沢喜作らが高崎城乗っ取り・横浜商館焼き討ちの謀議をしたのもこの建物の2階と伝わっている。
○住所:深谷市下手計236
〇開館時間:9時~17時(16時30分までに御入場ください。)
〇休館日:年末年始
○問い合わせ:048-587-1100(渋沢栄一記念館)
⑦鹿島神社・藍香尾高翁頌徳碑
栄一の従兄で学問の師でもある尾高惇忠が生まれた下手計村の鎮守。そして尾高惇忠(雅号は「藍香(らんこう)」)を顕彰する碑もある。
【栄一との関係】
尾高惇忠の功績を称え、栄一らによって建立された。そして藍香尾高翁頌徳碑が佇んでいる。
惇忠は後世、「藍香ありてこそ栄一あり」と称えられた人物で、栄一の人生に大きな影響を与えた。
○住所:深谷市下手計1145
⑧誠之堂・清風亭
栄一の喜寿のお祝いとして、初代頭取を務めた第一銀行行員たちの出資で建築された。平成11年に世田谷区から現在の場所に移設された国指定重要文化財。
【栄一との関係】
「誠之堂」の名前は、儒教の経典の一つ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」にちなんで栄一自身が命名した。
誠之堂の外壁、基礎の各所から「上敷免製」の刻印のある煉瓦が発見されていて、栄一が設立に携わった日本煉瓦製造株式会社のものであることが分かっている。
栄一を継いで第一銀行の2代目頭取を務めた佐々木勇之助の古希のお祝いとして、誠之堂同様に第一銀行の行員たちの出資で建築されました。埼玉県指定有形文化財です。
【栄一との関係】
佐々木勇之助は、28歳の若さで第一国立銀行本店支配人を務めるなど、数々の役員を歴任し、大正5年に栄一を継いで第一銀行の2代目頭取に就任しました。その手腕と人格で栄一の精力的な活躍を補佐したといわれています。
○住所:深谷市起会110-1(大寄公民館敷地内)
〇開館時間:9時~17時(16時30分までに御入場ください。)
〇休館日:年末年始
○問い合わせ:048-577-4501(深谷市文化振興課)
関連情報
渋沢栄一のルーツを感じる関連商品販売 | 渋沢逸品館
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