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青天を衝け「篤太夫、青天の霹靂」20話

物事を違った目線でとらえてみると面白い思考がうかがえる。

今まで篤太夫は、徳川慶喜へ建言(申し立てる)するという行動をとってきた。

それが自分を出世させるチャンスとなっていった。もちろん結果もだしていた訳ではあるが、慶喜が将軍となり、もはや直接物言いができないような環境になってしまっていても、既に慶喜の頭の中にはしっかりと篤太夫の存在が大きくなっていき、次へのチャンスもつかむのだった。

今でもその手法は参考にできる。

 

あらすじ

家茂(磯村勇斗)が亡くなった。慶喜(草彅 剛)の次期将軍就任が避けられぬと目される中、篤太夫(吉沢 亮)は「今将軍になっても、国中の非難を一身に背負うだけ」と慶喜に進言する。

一方、薩摩の大久保一蔵(石丸幹二)は公家の岩倉具視(山内圭哉)と共謀し、王政復古を画策していた。

慶喜が徳川宗家を継いだことで幕臣となってしまった篤太夫は失意の日々を送っていたが、ある日、謀反人の捕縛を命じられる。警護のために同行するのは、新選組副長・土方歳三(町田啓太)だった。

 

徳川家康の語り

今まで何度も言ってきたことだが、徳川の時代、長らく戦さがない世の中が続いていた、が徳川14人の将軍の内、戦さのさなかで亡くなったのは。

家茂ただ一人だった。家茂の死によって徳川の運命は、また篤太夫の運命は大きく変わっていく。

 

ドラマを観て思うこと

第14代将軍の徳川家茂が亡くなったと聞いた篤太夫は、慶喜に将軍家を継いではならないと必死に訴える。

もはや倒壊を免れることができないと感じ、あえて危ない道に行ってほしくないと思ったからだった。

だが、慶喜が徳川宗家を相続し、事実上、次期将軍となることになった。

 

その後、篤太夫は長州を討つため、勘定部門の仕事から御用人方の補佐となる。宗家に入った篤太夫は、幕府側になってしまった自分の立ち位置に悩みだすが、新選組の副長、土方歳三との出会いで、自分の成すべき道を再認識する事ができるのだった。

 

幕臣となって働き始めた矢先、謀反の嫌疑がかかった大沢源次郎を捕縛する命を受け、新選組・土方歳三たちを護衛につけて向かうが、大沢の決死の抵抗にあい間一髪のところを篤太夫は土方歳三率いる新選組に助けられる。

日の本をよくしたいという気持ちをお互いが語り合うことができた。

「俺は元は武州の百姓だい。志を持って草莽(そうもう)の志士になるつもりが、一橋に仕官することになり、戦う覚悟を決めたかと思えば戦はねぇし、やっとお役に立てる道を見つけたかと思えばその道も途絶え、今じゃ大嫌いだったはずの幕臣だで。」(篤太夫)

「俺は武州多摩の百姓だい。俺は畑を耕し、行商する暮らしに飽き足らずこの道を選んだんだ。武士となって国のために戦うのが目当てであった。おぬしと違って後悔は少しもない。日の本のために潔く命を捨てるその日まで、ひたすら前を向くのみだ。」(土方)

「日の本を守りたいという思いは俺も同じだ。いつかまた会ったときに恥じぬよう、俺もなるたけ前を向いて生きてみることにすんべ。」(篤太夫)

 

小栗上野介は幕府の金庫番であり、篤太夫は現段階ではその位置にはいないが、その代わりのフランス行きへの切符が慶喜の方から与えられることになっていく。

自分の志を示してきたからこそ、次のチャンスに巡り合うことになるのだろう。

 

ゆかりの地の紹介

京都府京都市には、新選組ゆかりの地、壬生(みぶ)がある。

新選組は、京都守護職を務めた松平容保(まつだいら・かたもり)のもとで京の治安維持にあたり、壬生寺の境内で、武芸や大砲の訓練を行っていたといわれている。

壬生寺  

壬生寺の周辺にある、いくつかの邸宅に分かれて駐在していた新選組であるが、中でも八木邸には、隊士がつけた刀傷が今もなお残っている。

 

八木邸(新選組屯所跡)

さらにもうひとつ、前川邸には当時の蔵がまだある。ここで土方歳三が尊攘(そんじょう)派の志士の取り調べを行い、京に火を放つ計画を自白させたことが、池田屋事件の発端となった。

旧前川邸(新選組の屯所跡)

隊士の人数が増えると新選組は壬生から西本願寺へ屯所を移動させた。

現在では、その当時使用した建物を、兵庫県姫路市に移築されている。

亀山本徳寺

渋沢栄一と同じ時代を駆け抜けた新選組。彼らのいちずな生きざまは今も人々を魅了し続けている。

 

壬生寺:   JR「京都」駅からバスで「壬生寺道」下車徒歩2分

亀山本徳寺: 三陽電鉄「亀山」下車 徒歩3分

 

 

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