渋沢逸品館 渋沢逸品館

青天を衝け「パリの御一新」24話

東京オリンピックも無事終了し、期間中休みだった「青天を衝け」が再開された。

ちょうど徳川の江戸幕府が260年余りで「家康の再生」と評された慶喜が閉じることになり、家康扮する北大路欣也の語りも前回で終わりを告げ、新たな幕開けを予感させる出だしとなった。

徳川慶喜の昭武のお供にフランスへと留学した篤太夫他一行。

その頃、大政奉還から薩摩と幕府軍の戦いが始まっていた。

 

あらすじ

篤太夫(吉沢 亮)や昭武(板垣李光人)らがパリで新年を祝う中、幕府から書状が届く。“慶喜(草彅 剛)が政を朝廷に返上した”との文面に一同大混乱をするが、篤太夫は昭武の留学費用を捻出すべく更なる節約策を講じる。

そんな中、篤太夫はエラールに連れられ、証券取引所を案内される。債券の仕組みを教わり、一人一人の小さな力が合わさり、この世を変えられることを知り、新たな決意を抱く。その時、日本では、成一郎(高良健吾)、惇忠(田辺誠一)、平九郎(岡田健史)が、新政府軍と戦っていた。

 

ドラマを観て思うこと

フランスでは、日本がどのような状況なのか、文が 届くまでの間、何が起こっているのか知る由もなかったが、幕府から使節団のもとに、慶喜が政(まつりごと)を朝廷に返上したことを知らせる『御用状』が届いた。

「将軍家は政権を朝廷にお返しいたし、この先は薩摩などと一致し、政(まつりごと)に当たる」

政権を朝廷に返上すること一行はたいそう驚き、日本へ戻っ時の自分たちの身も含め、今いるまたフランスでのやるべきことがどうなってしまうのか資金は、どうなるのなど、複雑な想いがよぎったことだろう。

そんな中で篤太夫は月5000ドルの送金という中でどのように生活していくのか、勘定を任されていた栄一も悩んでいた。

ある日、日本総領事のフリュリ・エラールに証券取引所へ連れて行ってもらい、『国債』や『社債』のことを教えてもらうまでは。。。

 

今の私たちでは日本といえば国債をたくさん発行し、外国の人よりも日本国民が多数持っていることで、外国にお金が流れることなく借金が多くても国内で運用が賄える比率が高いが、そのシステムをこのフランスでの証券取引所でのことがヒントになったのだと思うと、はるかにフランスは進んでいて合理的なんだと思わせる。

「フランス政府に短期間貸し付けるのです。預けた期間に合わせて『利子』がつき、現金が必要となればその時の『相場』で売ることふができる。『社債』は同じ要領で会社にお金を貸すこと。会社はその借りを集めた『金』で事業をする。リスクはあるが、『金』が事業の役に立つのです。」とエラールの言葉。

これが篤太夫=渋沢栄一が日本資本主義の父と言われるまでの第一歩だったのだろう。

 

一方横浜から届いたニュースペーパーや幕府からの『御用状』などで、薩摩などとの戦によって幕府の全軍が敗走し、慶喜が大阪を立ち退き江戸にもどり、朝敵の名を負わされたことを知る。

 
 

慶喜から届いた直書に対してどうすべきか思い悩む民部公子に、文で慶喜に建白してはどうかと提案する。

「文にて建白なされるのです。政権を朝廷に返されたのなら、なぜ兵を動かしたのですか?と。また、戦のご意志があって兵を動かしたのなら、なぜ最後まで戦われなかったのか。この先必ず、臆病、暗愚と罵られると分かりながら兵を置き去りにし、江戸へ戻られたのはいかなることでございましょう。」

慶喜の真意が計れなかったが、誠一郎の文で改めて日本での出来事、そして自分が今何をすべきなのかも含めて篤太夫は模索していたのだろう。

 

そんな折、新政府から民部公子も日本に帰るよう公文が届く。また、水戸の殿(徳川慶篤)が亡くなり、昭武(民部公子)が水戸家を継ぐことが決まる。日本から戻った前駐日フランス公使・ロッシュらが「いま帰るとあぶない」と止めるなか、民部公子は帰国を決意することになった。

「渋沢、私は…水戸に帰るのが怖い。日本に戻っても私のそばにいてくれぬか?」

この昭武の言葉に対し、篤太夫は何も語らなかった。これはいったい何を意味していたのかは読み解くことができない。

 

帰国前、エラールとの会話で、エラールに教わった国債と鉄道債を買い、利子や相場が上がって儲けることができたことの礼を言い、日本のために尽くすことを約束する篤太夫。

先に書いた日本資本主義の父の基礎的な考え方、皆の小さき一滴一滴が流れを作り、皆が幸せになる。

ビジネスに投資し投資家は配当を得る。また投資してもらった事業で新たなことをやりとげ、文明を発展させ世の中で豊かになりお互いが幸せになれる仕組み。

「儲かっただけではない。その日本のお金がフランスの鉄道にも役立った。」とエラールも教えてくれた。

なるほどこれで日本に戻った篤太夫が、のちにこのシステムを日本にとりいれ、商売が発展し、日本の民が平等になる第一歩の始まりだ。

 

ゆかりの地の紹介

東京都台東区。江戸時代、上野恩賜公園の敷地のほとんどが寛永寺の境内だったといわれる。園内には今も寛永寺の建物が点在している。

根本中堂(こんぽんちゅうどう)が建つこの地で、慶喜は謹慎しており、今もその時のままの部屋があるという。

寛永寺(根本中堂)

渋沢喜作が設立に携わった彰義隊(しょうぎたい)は、慶喜警護のため、上野に集結した。慶喜が江戸を去ったあとも解散しなかったことにより、ついには上野戦争が勃発することになった。

 

最新の武器と兵力を誇る新政府軍を前に、彰義隊は壊滅。そのときの弾痕が残る寛永寺の黒門が、東京都荒川区の円通寺に移築されている。

円通寺(旧上野の黒門)

当時の円通寺の住職が、上野に放置された彰義隊士の亡骸(なきがら)を埋葬し、供養した。

彰義隊戦士の墓

激しく抵抗を続ける旧幕府軍と新政府軍との戦いは、全国へと広がっていった。

アクセス:

寛永寺 JR山手線「鶯谷」下車 徒歩6分

円通寺 JR千代田線「南千住」下車 徒歩10分

 

【PR】NHK大河ドラマ「青天を衝け」はU-NEXTで!

渋沢百訓饅頭 6個入×2セット

通常価格

2,840

(税込)
Yahoo!で購入 楽天市場で購入

※商品価格以外に別途送料がかかります。

送料表はこちら

商品紹介

■東京北区、渋沢栄一ゆかりの地の銘品。江戸から明治へ、フランスの薫り漂うまんじゅう。 渋沢栄一が渡仏中に初めて味わった「ミルク&バター」。 渋沢百訓饅頭は、当時を偲ばせるよう、上質な素材を使って丹念に練り上げた上品な甘さの「みるく餡」、渋沢翁の好物「オートミール」を練り込んで焼き上げました。 日本古来の白いんげん豆によ…

渋沢百訓まんじゅう 2個入×5セット

通常価格

2,475

(税込)
Yahoo!で購入 楽天市場で購入

※商品価格以外に別途送料がかかります。

送料表はこちら

商品紹介

■東京北区、渋沢栄一ゆかりの地の銘品。江戸から明治へ、フランスの薫り漂うまんじゅう。 渋沢栄一が渡仏中に初めて味わった「ミルク&バター」。 渋沢百訓饅頭は、当時を偲ばせるよう、上質な素材を使って丹念に練り上げた上品な甘さの「みるく餡」、渋沢翁の好物「オートミール」を練り込んで焼き上げました。 日本古来の白いんげん豆によ…

しぶさわくんCOFFEE(ドリップタイプ)5包セット

通常価格

1,000

(税込)
Yahoo!で購入 楽天市場で購入

※商品価格以外に別途送料がかかります。

送料表はこちら

商品紹介

■明治の文明開化とともに広がるコーヒー文化 今や当たり前のように飲まれるコーヒー。コーヒーが日本に伝わったのは、鎖国の最中、オランダ商人によって出島にもたらされたと言われています。 幕末の1858年に日米修好通商条約が結ばれると、コーヒー豆の正式な輸入が開始しました。   渋沢栄一が晩年過ごし、愛した地、東京北区飛鳥山…

北海道十勝 清水産 焙煎あずき茶【30本セット】

通常価格

5,100

(税込)
Yahoo!で購入 楽天市場で購入

※商品価格以外に別途送料がかかります。

送料表はこちら

商品紹介

■ノンカロリー・ノンカフェインなので、子供からご年配の方・妊婦様に安心してご愛飲して頂けます!   今や北海道産の小豆は日本一。十勝清水では、渋沢栄一が開墾し、現在酪農国として不動の地位を築いています。 小豆といえば、甘く煮詰めた豆や、和菓子の餡こを連想させますが、あずきをドリンクにしてしまったところは斬新です。 …

関連情報

渋沢栄一のルーツを感じる関連商品販売 | 渋沢逸品館

渋沢逸品館 渋沢逸品館

渋沢逸品館では、日本資本主義の父と言われ、日本近代文化の礎を築いた渋沢栄一に関わるこだわりの品々を販売しております。渋沢翁の原点である藍染めを始めとし、藍に関連した商品や、関連企業やゆかりの地にまつわる歴史や文化を感じる商品を多数販売しており、知る人ぞ知る銘品をお探しいただけます。

屋号 株式会社旺栄
住所 〒114-0022
東京都北区王子本町1-4-13加藤ビル1階
営業時間 10:00~16:00
定休日 土日祝
サイト運営責任者 鈴木 知子
E-mail info@shibusawa-world.net

コメントは受け付けていません。

特集

運営:株式会社旺栄

(学校法人中央工学校グループ)

〒114-0022 東京都北区王子本町1-4-13 

 https://www.ouei.com

株式会社旺栄 プライバシーポリシー